1978年以降の桜田淳子、実際に当時を知っているので、何だかだんだん消えて行くのを見ているようで、もっと言えばフランダースのネロを見ているようで、後期の歌を聴いたり見たりするのは結構つらいのだけれど、それでも我慢して聞いていると、なかなか良い。かなり良い。
踊り、ファッション、発声、プロモ、バック、ありとあらゆることに全力でチャレンジしているのがわかる。それがまた当時、見ていてつらかったのだけれど、、、。
麻丘めぐみの後期もショートカットにして大人の歌手への脱皮を無理にさせて失敗したのに、どうして同じことを繰り返したのだろう。
しかし当時は18を過ぎたらチャラチャラしてはいけないという社会風潮もあったのかも知れない。