quiverの日記

アニメ、漫画、音楽

山口百恵さんの引退時期

Quiverは引退してからの山口百恵のファンになり、LPアルバムを二十枚近く買い込んだことがある。80年代後半の頃だ。なぜ当時突然、彼女の歌を聴き出したのか、自分のことなのに今でもよく分からない。『山口百恵は菩薩である』を読んだせいかもしれない。
最近、山口百恵さん復帰の有無とかが良くニュースになっていて、その際の決まり文句が「人気絶頂期に突然引退して」だ。しかし、Quiverはそうではないと思う。以下に理由を記す。

ヒットチャートで最後に一位になったのが77年4月の夢先案内人で、その後、翌年のプレイバック Part2が2位に入ったのを最後に転がり落ちて行く。特に79年の「しなやかに歌って」は良い作品だったのに8位どまりである。10位以内に入っているのだからいいじゃないか、と思われるかも知れないが、この10位の壁は当時のテレビ歌番組に毎週出られるかどうか、で相撲で言えば幕内みたいなのでかなり大きい。
79年末の愛染橋がこの10位ぎりぎりだったことで山口百恵さんは自らの進退を決断したのではないだろうか、とQuiverは密かに思っている。もちろん、80年3月代以降のシングルで3~4位に付けているものも結構あるのだが、それらは引退発表の後なのでいわばご祝儀・はなむけである。当時、ピンクレディーキャンディーズの追撃は激しく、また、桜田淳子が77年末のしあわせ芝居以降、一足先に落ちて行くのも見ているわけで、百恵さんはきっと、自らへの判断を自ら冷徹に下したのではなかろうか。
ともかく、「人気絶頂期に突然引退して」と言う表現だけは止めて欲しい。