quiverの日記

アニメ、漫画、音楽

中曽根さんの本3

少しずつ読み進めている。自転車を白塗りにして選挙運動をしたとか、南極に行くついでにカストロに会った(会って反米の意思を確認した)とか、核のトランジットだとか、台湾・中国本土の選択だとか、興味深い点はいろいろあるが、どれも今読んでみると、正しいもっともな判断である。ただ、初めて知ったショッキングな点が二つ。

まず、ニクソン政権下で拡大主義を見直し、アメリカ負担を軽減すべく同盟国に自国の防衛は自分で、と言い出した頃の話で、、、
「米軍撤退は日本にとって当然のことであり、その実現を私も待ち望んでいました」
総理の頃の報道は「ロン・ヤス」一辺倒だったので、こういう話をちゃんと聞くと驚いてしまう。そしてさらに、衝撃的な発言として、
ソ連共産党の言動や対日政策は、極めて非友好的であったし、日本を冷徹な視線で見ていた。加えて、ソ連大使館を拠点に反日勢力を培養し遠隔操作していました。」
がある。誰だろう、培養されたのは?たとえば「べ平連」がソ連の援助下だったのはWikiにも書いてあるくらい有名な話だが、大学自治会など、まだおおっぴらになっていない面や、残党が結構そこいらに居るのではないだろうか?


二つ目は、1973年の第一次石油危機の話。
石油メジャーに逆らうな、と言うことを通産大臣田中角栄首相時)に、キッシンジャーホテルオークラでの面談で「ひどい目にあうよ」と強く警告されている。中曽根さんは理解せず、「摩擦は起こさないから、原油は確保しておきたい」と言うものの、キッシンジャーは一歩も引かず、メジャーの代理人のように振る舞ったとのこと。
日の丸原油構想で衝突し、田中角栄が失脚させられ、しばらく後、キッシンジャーと再開した際、「田中をやったの(ロッキード事件)は間違いだった」と直接、離している。中曽根さんは、田中がアメリカの虎の尾を踏んだ可能性があると思っている。
また、サウジアラビアのファイサル国王に石油の輸出を頼んだところ「アラブに対して好意的な声明を出せ」と言われ「イスラエル兵力の全占領地からの撤退、パレスチナへの自治権付与が望ましい」と言う談話を出して外務省・大平と衝突したとか。そりゃするわな。中曽根さんは冷静に「外務省は対米協調を優先し、石油メジャーの力も熟知していました」とおっしゃっておられる。