quiverの日記

アニメ、漫画、音楽

ジュリー・マネの日記を読んできた

図書館に行って読んできた。地下二階の閲覧室に置いてあった。英語版と日本語版があったのだが、とりあえず、日本語版をゲット。なお現在、仏語版は存在しないらしい。

Growing up with the impressionists : The diary of Julie Manet、絵は「モリゾとジュリー」ルノワール

  

ジュリー・マネ、明治10年パリ生まれ、17歳で両親を亡くす

原題は、Julie Manet, La mémoire impressionniste、と言うらしい。
 

最近、山田五郎さんのYouTubeチャンネルで美術作品の解説をいろいろ聴いていて、一番印象に残ったのが、多くの印象派の画家たちの拠り所となった「マネ先輩」と、その印象派の筆頭で超KYな「俺たちのドガ」(五郎さんの表現~俺たちみたいに人見知りでヘンなヤツ)。
エドゥアール・マネは、オランピアや草上の昼食、などで知られる。ドガは言うまでもない。
  
その、マネ先輩(エドゥアール・マネ)の弟で、八つ年上のウジェーヌ・マネと結婚した、女流画家ベルト・モリゾ
自分は、モリゾに関して、マネの弟子くらいにしか思っていなかったが、自身がサロンに何回も入選した上に、印象派グループの中心にもなった存在であった。当時のオノヨーコ?みたいな感じだったのだろうか。
 
そして、ベルトが37歳のとき、マネの弟ウジェールとの間に産まれたその娘こそ、ジュリー・マネである。両親とも、ジュリーが十代の時に早逝してしまう。
孤児になったジュリーは、しかし、マラルメ(詩人)や、ドガ、モネ、ルノワールなどの後見人によって温かく見守られ、育てられる。
家も遺産が相当ある大金持ちだったので、生活自体には不自由はしなかったらしい。
また、当時、フランスを騒がせた、ドレフュス事件について、フランスを、そして印象派グループを真っ二つに割った状況が分かって面白い。ジュリーはドガと同じく、反ドレフュス派であった。
  
さらに、このジュリーさん、「本人はKYで、最後まで独身だった俺たちのドガ」 の紹介で、エルネストと言う画家と結婚した、と言うのが大変面白い。
山田五郎さんのチャンネルで取り上げてくれないだろうか。
その後、三人の子供にも恵まれ、八十代まで長生きした(~1966)と言うことで、結果オーライのハッピー人生だったらしい。
明治時代の当時、新進気鋭の「印象派」たちに、生活も芸術的にも育てられ、また逆に、「ちょっとおかしい人の集まりだった印象派」たちを、最短距離からじっくりと眺めた日記、と言うことで、良く研究されているらしい。
今でいうと、「ロックンローラー仲間に育てられた少女」とか言うとイメージしやすいのかもしれないと思った。
  
 
ジュリーマネで思い出すのが、岸田劉生・麗子・夏子の三代である。
娘の麗子は、あの「麗子像」で有名な女性で、写真も残っており、写真で見るとなかなか可愛いので、麗子像を見るたびに考え込んでしまう。
岸田劉生は15歳の娘を残して早逝してしまう。
但し、彼女の場合は、母親が長生き(岸田麗子が亡くなった二年後に没する)であった。
  

(後記) 何と、五郎さんのチャンネルでジュリーマネが取り上げられた(11/11)。
www.youtube.com