quiverの日記

アニメ、漫画、音楽

ユーミン、「スラバヤ通りの妹へ」に出て来るジジイ

この曲は、インドネシア訪問の際の想い出を唄っているもの。現地の若い娘から、ラサ・サヤン・ゲ(東南アジアのわらべ歌)を習ったりしたが、道端の老人は愛想がなくて睨むようなそぶり、きっと日本による戦争被害を恨んでいるのだわ、と言う内容。
しかし、この唄、「スラバヤ通り~」が出来たのは80年代であり、と言うことは戦争と言うより、エコノミックアニマルになったジャパンの商社マンたちが、東南アジアでやりたい放題で、イスラム教を無視し、傍若無人に振る舞ったことに対する憤りではなかったのか? 
まあ、その結果、福田ドクトリンが出てきたわけだが。
 

(後記)福田ドクトリンで「日本は貿易相手国の文化を尊重します」と日本政府が宣言されたのは1977年で、「スラバヤ通りの妹へ」は1981年(アルバム、水の中のASIAへ)と、少し、順序が逆であった。ただ、ドクトリンを出したからと言って、突然、状況が激変するわけではないだろうから、少しずつ変わって行ったのだと思う。具体的な施策を是非知りたい。留学生受け入れ、とかだろうか?