quiverの日記

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彦六は三平のお父さんでなかった、、、

この年になって、やっと気付いた。
林家彦六、八代目正蔵、「トンガリ正蔵」、「稲荷町の師匠」は、故林家三平師匠の父親ではなく、他人だった。そして三平の師匠でもない。
そう言えば、正蔵が彦六に改名する際に、「正蔵の名前をお返しする」とおっしゃっていたので、気付くべきだったのだけれど、気付かないまま何十年も生きて来てしまった。1980年に、上野の鈴本で一度だけ、ホンモノを見たことがある。
 
 
三平のお父さんも別の噺家で、七代目正蔵。海老名家の先々代であって、こちらが三平の師匠。今でもGoogleYoutubeで、写真や、戦前のレコードは見られるが、さすがに動画はない。
この七代目が、実は、ギャグ専門で、三平の「どうもすみません」や、「額にゲンコツをかざす仕草」の元祖らしい。写真を見ると確かに三平師匠や、元こぶ平師匠(九代目正蔵)と似ている。

  
七代目は戦後すぐの1949年に物故したので、自分は知らないのだと思う。1949年と言えば三平が未だ24歳である。死後、八代目橘家圓蔵(五代目月の家圓鏡)のところに移籍する。ちなみに八代目正蔵の襲名はその後、1950年である。