quiverの日記

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放蕩息子はprodigal son

40年くらい前に米国南部の家庭に一月ほど、ホームステイさせて貰ったことがある。大変良くして貰って良い思い出ばかりなのだが、そこの息子マイケル君、当時中学生、と聖書の話をした際、自分が放蕩息子の話を何とか拙い英語で説明して「この話は英語で何というのだ?」と聞いてみた。
どうして聖書の話になったかと言うと、マイケル君が、「自分の名前はBible name」だ、と説明してくれたところからだった。大天使ミカエル、と言う名前は当時も知っていた。
自分は小学生の頃、英語を習いに教会学校に通っていたので「放蕩息子の寓話」を知っており、「これは聖書の中の話で、、Long time ago、二人の兄弟が居て、一人の方は、まじめに働いて、一人は遊んでばかりいて、家を飛び出して、、、これは英語で何と言うんだい?」と言う感じで聞いたと思う。
マイケル君は、ああもちろん知っている。プラティカル・サン(と聞こえた)だね、と答えてくれた。

しかしその後、数十年間、pratical sonって一体何だったのだろう、マイケルはテキトーに答えたのだろうか、と思い続けて来たのだが、ふと、「放蕩息子のたとえ 英語」で検索して、Googleが氷解してくれた。
「Parable of the Prodigal Son」
何と、プロディギャルをプラティカルと聞いてしまったのだ。聞き直せば良かった、とつくづく思った。


放蕩息子のたとえ話(ルカ伝15:11 - 32)の意図を、自分でちゃんと分かったのはさらにそれから数十年後、子供持ってからだと思う。どんなに出来の悪い子でも親は可愛いと思うだろ?と言うことだ。